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 こちらは、2006年までに発行されたメールマガジンの内容です。


■■ メールマガジン第一回目 ■■

■ そろそろ「こだわり」もお終いだ

メールマガジンからいらした方、ここが「アタマに残る中小企業」で間違いないです。

 もうどこへ行っても「こだわり」だらけ。

 「こだわり」「がんこ」、こんな言葉が溢れかえっている。例えばこんな感じ。

「こだわりの『がんこ住宅』」←2回オテツキ
「がんこ親父の〜」←FC店にがんこさがあるか?
「こだわりのマクドナルド」←マクドナルドまでこだわるか?

 先日ある所で見た、「こだわりのマクドナルド」ポスターを見たとき、「あ、もう使えないな」という気持ちが強くなった。マクドナルドになんの「こだわり」があるんだ? マニュアル化された接客、調理、店舗維持。そこにこだわりがあるはずがない。大手の広告代理店の発想もこの程度だ。中小企業はもっと頑張れる、相手は既に息が上がっている!

■ 「こだわり」に対する今どきの印象

 少し前まで、昔からずっとこだわりを持ってきた会社は、「こだわり」が宣伝文句になった。正直な話、僕はこだわりって言葉が大好きだ。しかし、この言葉を使うにあたって、資格は全く必要ない。この単語は、誰でも使える便利な言葉だったのだ。たとえ「こだわり」が無い会社でも。

 つまり後発の会社が自分の限界、個性主張の方法を知らず最後に辿り着いた宣伝文句が「こだわり」といえる。「ウチは中小企業だから、”これだけしか出来ない”」じゃあ、逆の発想で、「あえてそこに”こだわっている”ように見せよう!」って考え方が、この『こだわりの氾濫』を呼んでいるのだ。

 おかげで本当の「こだわり」を持った会社までが、こだわりが無いにもかかわらず、単なる便利な宣伝文句として『こだわり』を使った会社と並んでしまった。本来の、自己主張としてのこの言葉の意味を失ってしまった。たとえ何十年と培ってきた「こだわり」があったとしても、言葉通り「こだわり」を宣伝する時期はすぎた。

■ 「こだわり」の将来

 はっきり言って、今後暫く「こだわり」という言葉は宣伝文句の地位を失う。皆さんの広告代理店が「こだわり」と言ってきたら、何も考えていない証拠と思って間違いない。

 これだけ「こだわり」が言葉だけの宣伝文句になってしまうと、お客さんの頭の中にはその単語に対しての防御線が張られるからだ。一度防御線が張られてしまえば、その単語には冬眠しててもらうしかない。いつか忘れ去られ、防御線が降りたころまた使える日が来るだろうが、今はもうだめだ。

 僕は、次の時期が来るまで「こだわり」は使わない。次がいつかは分からないが、時がくれば分かるだろう。自分にはこだわりがある。しかし、「こだわっている!」と叫ばなくても見えるのが本当のこだわり。だったら、行動で示すしかない!
企業のPRもその方向へ行くべきだ。

■ 宣伝文句としての「こだわり」の発明

 そもそも「こだわり」が宣伝文句として発明されたのは、マイナー品を売ろうとしたところだろう。こだわりは、一種のステータスだからだ。誰に何と言われても譲ることは出来ない、この不器用さが「こだわり」だ。企業を例にとれば、そのこだわり故に失うものは多い。例えば、万人受けする製品を開発すれば沢山売れるのに、それを「悪魔に魂を売る行為」のように避け、あえてマイナー路線を行く。それによって、決して広くはない市場で熱狂的なファンを作り、買う人の「ライフスタイル」の一部になっていく。これが僕の思う「こだわり」だ。売る、買う、双方にある強い意志の表現だ。

「僕はユニクロにこだわる!」
「僕は昼飯はマクドナルドにこだわる!」
「新しいモノにこだわる!」

こういうこだわりもあるという人もいるだろうが、「こだわり」のイメージからすれば、違和感を感じずにはいられない。これはむしろ「嗜好」というべきであって、「強い意志表示」ではない、というのが理由だ。

■ 次に使う方法

 自分にもいえることだが、「こだわり」を安易に使いすぎた。難しいときは、「こだわり」だのみ。これではいけない。

 僕がちょっと前、手法に感心して見たCMがある。『ドモホルンリンクル』のCMだ。

 ドモホルンリンクルの工場では、1日に四時間ラインが消えて無くなるらしい。理由は、清掃。機械を全部解体し、清掃消毒して組み立てる。「生産量を増やすより、品質の良いものを作りたい云々」という内容だった。ウソかホントか知らないが、本当なら呆れる程不器用な会社!そこに僕は感動した!しかも、その映像も効果的だった。

 映像は、白衣と帽子、マスク、白づくしの作業員達が、工場の青白い光の中で、機械を分解し黙々と部品を洗浄している。金属の冷たいシルバーの質感と、乳白色の洗剤、白い手袋が、一種の儀式めいたミステリアスさ、はっとする真剣さを印象づけている。(まさに日本の美!)

 一言も「ドモホルンリンクルはこだわっています」と言う必要はない。なぜならこんなに不器用な会社なんだから、こだわってるに決まってる!・・と思わせる。

■ 二番煎じはダメ

 仮に他の化粧品の会社が「ウチは5回分解してるぞ!」と息巻いて、「3回で自慢している会社もありますが、5回分解しないと細菌の繁殖は云々」なんて宣伝したら目もあてられない。けなげに3回分解してるドモホルンリンクルに、回数勝負で安っぽい戦いをふっかけてきたヤツ、にしか見えない。不器用でけなげなドモホルンリンクルファンを増やすだけだろう。

 競争相手が「ウチはこうだ」とそのこだわりを世界で最初に宣伝したとする。たとえ自社が同じかそれ以上のことをしていても、もう宣伝には使えない! それは、最初に「ここがウリになる!」と気づき、その宣伝を発明した会社の特権だからだ。もう、こうなったら自身を客観視出来なくなった自分と、自社の売り上げしか気にしない広告代理店を恨むしかない。

 とはいえ下手な二番煎じは最悪だが、別業界、別商圏で表現にオリジナリティーのかけらを含めれば『真似』は悪くない手ではある。是非、真剣に「真似」も研究してみてほしい。

■ 新しい方法はどこに?

 多くの場合、新しい方法は「恐くて誰も試せない」、と思われるアイデアの中にある。既に自分の前に新しい方法が出ていることもあるということ。その恐くて誰も試せない方法に、敢えて挑戦してみよう!という勇気ある経営者なら、地元では大企業を土俵外に弾き出せる、アタマに残る企業になれるはず。中小企業には大企業が望んでもやれないPR方法があるのだから!

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