■ 見せてはいけない「経営努力」
メールマガジンからいらした方、ここが「アタマに残る中小企業」で間違いないです。
企業として「経営努力」を分かりやすくお客さんに見せることは、一見良いことのように聞こえる。しかし、やり方を間違えると致命傷を負う。
「皆さんのために、出血大安売り!」
「お客様へ、還元大セール!」
「半額大奉仕!」
チラシを見ると、こんな「努力セリフ」がいっぱいだ。こんな言葉に店側の真意がないことくらい、お客さんはとっくに知っている。自分を店へ呼ぶための文句であって、本当に自分のことを考えてくれているわけではない、と見抜かれている。「経営努力」が見え見えで、お客さんに弾かれている。
■ 「経営努力」に映画監督の仕事がダブる
映画学校でトレーニングされた人が、映画を見た直後「あの監督は凄い!どこどこのショットがカッコ良くて、カメラワークが云々」などと言っていたら、そいつは何にも分かってないヤツだ。映画には色んな種類、見方があり、普通の人は見たいように見るのが正しいのだが、映画学校に行ったのならこういうコメントはすべきではない。
なぜなら、良い映画はショットのカッコ良さが見えてはいけないからだ。監督は「私が監督しました!」という雰囲気さえ見せてはいけない。もし見えていたとしたら、それはその映画がストーリーに集中できない雑音だらけの作品だといえる。
■ 巨匠の仕事はどこにも見えない
大好きなキューブリックの映画を見ていても「監督の意図」は分からない。それは、ただ絶妙緻密すぎて視聴者である僕らに見えないだけなのだ。凝ったカメラアングルを使うわけでなく、派手な照明をするわけでもない。あたかも実際に起こっていることを、その場にいてカメラで撮影してきたような、自然な雰囲気がある。
■ 「自然にするだけなら、監督いらんじゃん」
と思うかも知れない。だが、それは違う。なぜなら、キューブリックは自然さを演出するのが仕事ではないからだ。彼は、どんな異常な世界でも自然な雰囲気に見せてしまうことが出来る。キューブリックの仕事は、役者に「ある異常な世界」を「現実」として見せてあげる所にある。その世界が理解出来る役者(当然才能ある役者を配役している)は、あとはその世界の中で”自然に”振舞えば良い。そこにカメラがたまたまあっただけ、という雰囲気はこうして作られていく。役者に「こんな感じでセリフを言え」といったわけではないだろう。
これが「見えない経営努力」だ。そして、それは評価される。
■ 「経営努力」が見えている会社とは
近所に悪い意味で頭に残る「板金屋」がある。その会社は、場所的に大変恵まれていて、当地ナンバーワンの集客を誇るホームセンターの駐車場の真横にある。お客さんの絶えない200台収容クラスの駐車場の真横で、工場の建物の横っ腹がベタで見える。この壁に一般客向けの分かりやすい宣伝広告を描き、定期的に強力なチラシを打っているホームセンターの集客力を自社のPRのために利用するのは当然の策だろう。しかしこの板金屋、どうもそうしてこなかったらしい。
■ まさかここにこれが出来るとは
あるときその会社と、ホームセンター駐車場との間にある空き地で工事が始まった。その空き地にはトラックで小さなプレハブ小屋が運ばれた。みるみるうちに小屋は黄色と赤に塗られ、背後につい立てのように建っている工場の壁も鮮やかな黄色に変わった。塗り隠しが中途半端なため、本来1番目立つべき元の屋号が半隠れになって、ずいぶんと寂しげだ。
察しの通り、そのプレハブはテレビ等でおなじみのFC(フランチャイズ)板金屋に早変わりした。
■ この選択がどんな結果を呼ぶのか?
FCは、テレビ宣伝やPR面での露出度、認識度は高い。個々のFC店の宣伝をしなくても、お客さんは最寄りの加盟店、または道で偶然見かけた店へでも立ち寄ってくれる。初めてのお客さんも「テレビで宣伝してる店」だと思っているから敷き居は低い。PRのノウハウが全くなくても、本部が宣伝を勝手にやってくれるため、若者やサラリーマンからの独立組に人気なのだ。
しかしこの板金屋に関しては、FCに情熱を燃やしているわけではない。元の業務が上手くいかなくなった上のFCだのみの感が強い。なぜなら、今まで何十年も「板金」を業として行ってきて、今この時期、同業FCに加盟するところを見れば、現在の経営が上手くいっていないことはお客さんに見抜かれる。
さらにこの会社は、この上にもっと悪い事を重ねてしまった。中途半端に元の屋号が隠れた状態はペンキの塗り方だけでなく、実際の経営にも言えることだったのだ。今までの工場では従来の板金修理も続けている。同じ工場で、FC手法の”簡易凹み直し板金”もやっている。
■ お客さんに与える印象
お客さんは今後、本来の職人技術で行う仕事もすべてFCの「簡単、早い、安い」仕事だと思うだろう。その逆はありえない。「今までしっかりした職人がやってきてる会社だから、FCに加盟しても仕事の質は一緒だろう」と思うはずがない。起死回生の「経営努力」のつもりで行ったFC加盟も、あまりに見え過ぎてしまったがために、この会社の将来を逆に危うくしてしまっている。
■ 他業種の例も
これと同じことが、ある洋服店(ブティックとは呼べない)にもあった。その店のガラス窓には、
「お客様のため、全品半額に出来ました!」
と書かれたパネルがぶら下がっていた。店にはお客さんは一人もいない。ただ、店の前で店主らしき人物が、自分の店を見上げ「何が悪いのかなぁ。不況だから、安くても売れないなぁ」と言ったかどうかは分からないが、そんな顔つきをしながら煙草を吸っていた。
■ 経営努力の向こうに透けて見えるのは
このFC板金屋と洋服店は、そこで修理をしてもらうこと、そこで買うこと自体がどこか物寂しい体験になりそうな雰囲気を持っている。FC加盟も、半額セールも経営努力には違いないのだが、その経営努力の裏をお客さんに見透かされてしまった時、その会社からは目に見えない「物寂しさ」が立ち上る。
■ 中小企業の生きる道!
人は元気のいい、気のいい会社に仕事を任せたい。「景気の悪い時はあせってもどうしようもない!」と、ひょうひょうとした人は頼もしい。それは「武士は食わねど高楊枝」的な考え方だ。面白いことに、仕事はそんな雰囲気を持っている会社に流れてくる。
■ そんな会社になるためには?
自分が商売を始めた切っ掛けと、自社のサービスや商品、製品の良い所、好きな所、自分がその商品になぜ入れ込んでしまったのか?を自分自身で再認識し、その気持ちを適切な方法でお客さんに伝えることが大切だ。自分が好きでもないものは、口先だけでは絶対売れない。取ってつけたような「経営努力」を見せてしまったら、ますますお客さんは離れていく。
不況不況と言っていては駄目だ。「安くします」と言っていてはダメなのだ! 自分の商品を好きになり、自分が商品について語る姿をみてお客さんが楽しくなるような雰囲気を持ち、適切にそれを広めていくことが、お客さんの頭に残り、必要があったとき「あ、あそこへ行こう!」と思わせる会社を作る!