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 こちらは、2006年までに発行されたメールマガジンの内容です。


■ 少ない表現が多くを語る

メールマガジンからいらした方、ここが「アタマに残る中小企業」で間違いないです。

 映画が好きな方は多い。しかし、演技や演出を経験された方は少ないと思うので、今回はPRに使えそうな演技・演出について話したい。

 アメリカ人の映画やテレビの演出家の口から、

 「Less is more」

 という言葉を聞くことが多い。「何かを表現するとき表現は微かなほうがいい」という意味で、過剰演出への戒めだ。

■ 下手な役者

 下手な役者は「感情」をチャンネル式に考える傾向がある。「喜怒哀楽」に少しバラエティーを増やした感情に当てはまるチャンネルに切替え演技をするだけなのだ。だから、ストーリーが伝わってこない。

 つまり「ここは悲しいシーンだから、悲しそうな顔をしなくっちゃ」という発想。そのキャラクターが何故そこで悲しみを感じるのかを考えず、「大事にしていた犬が死んだときを思い浮かべて涙をだしました」とかいう、”心ここにあらず”の表現になりがちだ。

■ 例えばこんなシーン

 たとえば、『意外な事実を知ってしまったために、考えがまとまらない』表現をする必要があるとしよう。下手な役者がこのシーンを演じると、普段の生活では絶対しないような大げさな顔になる。目が落ち着き無く宙をさまよい、小刻みなまばたきを繰り返す。とにかく「分かりやすい」演技になってしまう。

■ 上手い役者はどうだろう?

 上手い役者は、極端なことを言えば「まゆ毛ひとつ動かさず」にこの状態を表現してしまうことが可能だ。具体的なシーンを紹介するので、是非ビデオレンタルで借りて見てみてほしい。

 「インディアナ・ジョーンズ 最後の聖戦」の1シーン。ナチの将校に拘束され、銃を突きつけられた女性を助けるためにインディーはマシンガンを捨てる。将校は女性を解放。女性はインディーの胸に飛び込む。しかし、実は女性がその将校とグルで、インディーのポケットの中にある大切な手帳を抜き出し、それをチラつかせながらナチの将校のところへ戻る、あのシーンだ。

■ ハリソン・フォードの顔に注目

 ナチの将校の前に戻った女性を見たインディーは、ゆっくりカメラの方へ体を向ける。つまり、将校と女性に背を向ける形になる。その時の顔が『意外な事実を知ってしまったために、考えがまとまらない』表現だ。表情は固まったままだが、インディーがどんな心理状態にあるか一目瞭然。この時の、スピルバーグ監督の演出も派手にならず微かなものだ。

 インディーが体をカメラに向けると同時に、カメラはゆっくり下へ下がりながら、インディーの顔を仰ぐようなアングルになる。つまり、このシーンが終わる頃には、インディーの背景は天井のみになってしまう。よく見ていないと気がつかないほど繊細な演出だ。このカメラワークとあいまって、インディーの気分が奈落の底に突き落とされるのが伝わってくる。

 下手な役者なら、眉を困ったようにハの字にして、首を細かく左右に振りながら、「言葉にならない」とばかり、口を小さくパクパクしてみたりするところだ。

■ これをどう応用出来る???

 一番悪い例はこうだ。

A 「商品の良さを伝えるためにはどうすればいいか?」
B 「商品をモデルに持たせて、満足げに微笑ませる」
A 「ちょっとベタ過ぎないか?モデルでは偽物っぽいだろう」
B 「じゃあ、(偽)のお客さんのコメントを顔写真付き掲載」
A 「『この商品をつかったら、こんなに便利だった云々』系の?」
B 「そうです、そうです」
A 「さきのよりはこっちの方が自然か・・・・」

 まさかここまで分かっていない人もいないだろうが、実際この手の宣伝広告は多い。ということは、肝心な時に安易な方法を選んでしまう会社が多いともいえるのではないだろうか。

■ 言わずに伝える

 わざとらしくなく、過剰演出にならず人に何かを伝えるには、言わずに伝える方法を常に考えなければならない。商品に自信を持っているから、どうしても伝えたい。でも「少ない表現で本当に伝わるのか?」を不安がる。だからストレートに表現してしまう。「〜に徹底的にこだわりました!」という、伝わらない文句になってしまうのだ。

 「Less is More」の考え方で、大根役者の演技のような過剰演出のないPRをすれば、好感度も上がる。

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