工務店がお客さまから「私の気持ちを理解してくれない」と言われ逃げられる時。

工務店にせっかくいらしたお客さまと打ち合わせが上手く進まず、結局

「この工務店は私の思いを理解してくれない」

と契約に至らないことがあります。そんなとき工務店側から聞こえてくるのは、

「趣味が合わなかった」
「デザインの方向性が違った」

といったような反省があります。でもなぜこんなことが起きるのでしょうか?
お客さまが個性的すぎて、スタッフが追いつかなかった?
私が見る限り、とてもセンスの良い工務店であってもお客さまに逃げられてしまうことがあります。

工務店のセンスやテイストだけが決め手ではない

個性的な家が欲しいと思うお客さまは多いです。
その個性にも、

モダン系
カントリー系
ヨーロピアン系
インダストリアル系
和風モダン
純和風

など、様々なテイストがあります。
家を部屋数や広さなどのスペックで選択されるお客さまも少なくありません。しかし、テイストを最重要として選択する方に共通して求められているのは、表現方法はそれぞれ異なるかもしれませんが、

これから始まる新しい家庭の文化

です。出てくる言葉も様々。

「子供を天然の木のフローリングの家で育てたい」
「家族のつながりを感じられる家にしたい」
「キッチンから子供が宿題をしている姿を見たい」
「リビングで趣味ができるようにして、子供にも興味を持ってもらいたい」
「友人が気軽に立ち寄れる家にしたい」
「階段の踊り場に本棚を作りたい」
「吹き抜けに滑り台(のぼり棒)を付けたい」

などなど、これらは言ってみれば新しい家庭の文化の基礎になる要望ばかりです。それぞれを紐解いてみると、

無垢のフローリングを通じて自然の心地よさを知る。
大人になっても親を信頼してなんでも話せる家庭。
子どもたちが愛されて育てば愛情の深い人になる。
親子が同じ趣味を持つことで、難しい年頃になっても共感しあえそう。
友人が気軽に出入りする家なら、気後れしない人になる。
本がどこにでも沢山ある家庭なら、本好きの人になる。
滑り台やのぼり棒が普通にある家に住んだら、型破りな人になりそう。

要望の中に隠れている願いが見えてきます。
これらは授業のように“教える”ものではありません。

家の中に存在する“変なもの”で個性は育まれる

個性とは、育った環境、親の習慣を子供が真似をしたり、自分の周りに平然と存在する“なにやら他と違うもの”に接しながら、無意識的に形成されていきます。

「家の中に滑り台」

と聞くと、なかには「奇をてらっておかしなことをやっている」と批判する人もいます。

でも、そんな“おかしなこと”を実現させてしまったお父さん・お母さんって素晴らしいと思います。しかもそれが、子供の大好きな滑り台。「これはやってもいい、これはやっちゃだめ」という、なんとなく世間が持ってる常識や偏見、実用性を優先して夢を諦めてしまう風潮をモノともしない施主さまの個性を感じます。きっと、お子さんが大人になってから、

「ウチね、家の中に滑り台があってさ」

とちょっと自慢したくなる。また、何か発想するとき

「オヤジならこれ、人に何か言われてもやっちゃうだろうな。オレだって負けない!」

と、より独創的な発想をすることをためらわない習慣がついていくでしょう。

お客さまから「理解してくれない」と工務店が言われる時

私の家づくりの経験でも「自分の気持ちを理解してもらえない」と思ったことがあります。

10年以上前に建てた私の自宅は建物の1/3が吹き抜けで、トイレ風呂以外、1階も2階も仕切りがありません。主寝室だけ唯一区切られた部屋ですが、吹き抜け側は全てガラス張りです。担当の営業の方ととても気があって、

「これは面白い家になるよ!でも、覚悟しといてくださいよ。だいたいこういう家を欲しいという方は、途中から『やっぱり吹き抜けはもったいない。部屋を一つ増やして・・・』って、無難な感じに収まるんですよぉ~。ふふふ」
「いえ、絶対このままつくります」
「約束ですよぉ!」

と大乗り気で打ち合わせを進めてくれたので、とても楽しかったです。ただし、

「耐震的にはこの大きさの吹き抜けはちょっと怖いです。でも、私もどうしても実現させたいので構造をこの方法で作らせてください。その分これだけ費用がかかってきます」
「大丈夫です。とりあえず地震が来ても逃げる時間だけ確保できるようにしてください」
「そんな、そこまで怖い家は作りませんよ!」

と、ハッキリと問題点と解決方法を提案してくれました。
そんな私が自分の家で後悔していることといえば、さきほど申し上げた吹き抜け側のガラス張りの部分だけです。ガラス張りが嫌だったわけではありません。問題の部分に関しての設計の方とのやりとりはこんな感じでした。

私「吹き抜け側は、引き違い戸にしたいです」
設計「え?吹き抜け側をですか?」
私「はい。窓が全開になるようにしたいんです。そうすると、家の中にツリーハウスがあるみたいになるじゃないですか!手すりを付けたら、吹き抜け側に脚をブランとして座れますよね!」
設計「いやぁ・・・、小さいお子様がいるのでそれはおすすめできません」
私「それはそうですが・・・でも、引き違い戸にしたいんです。子供が小さいうちは私たちも気を付けますし、いつまでも小さいわけではありませんし・・・」
(中略)
設計「設計士としてここはちょっと譲れません。はめ殺しにさせてください!お願いします!」

こんな感じのやり取りがあり、担当の営業マンも説得してくれましたが、どうしてもということではめ殺しの窓を取り付けました。その設計士さんとはその後も気持ちよくお話しできましたし、いまも家自体は気に入っていますが、やはり引き違い戸にさせてもらえなかったことは悔やまれます。

住む前に予想していたのは、我が家の地理的な位置を考えると夏場はベッドルームの吹き抜け側の窓が全開にできると、2階の風の動きがエアコン不要なほど活発になること。住んでみてそれが正解だったのです。開放感も今以上だったはず。引き違い戸ならガラス掃除も楽だったし。我が家には他にも危険と思われるところがありますが、子供に言い聞かせたらちゃんと危険を避けて事故もなく成長しました。今でもリビングからベッドルームを見上げては「あ~あ、あそこが引き違い戸になってたら」とクヨクヨしています。

と、これは実用面からの理屈付けですが、私が本当に欲しかったのは、

ツリーハウスのように息子と窓辺に座って、おもちゃの釣り竿で先に磁石のついた糸をリビングに垂らして脚をブラブラさせながら、自分たちで作ったゼムクリップ付きの魚を釣る、そんなことがしたかったんです。こんな非日常を家に持ち込みたかったのです。40代の方なら、「ふとんかいすいよく」知ってますよね。あんな感じのことをしたかった!!!

もしも、これがお付き合いの初期の段階で起きていたら、きっと別の工務店に話をしに行ったと思います。たしかに、プロの意見や良識を優先したほうが良いことも多いとはいえ、工務店側が自分の思いを理解してくれないという不満にはつながります。

家づくりを通してお客さまが求めることの中には、無意識的に

我が家の文化

を表現しようという意志があるかもしれません。
何を実現したいんだろう、どんな意図があるんだろう、どんな文化を作り出そうとしてるんだろう。

そう考えてお客さまの無謀な夢(笑)を聞いてください。